ちんこう

水曜の4限は、西野先生の授業だ。

 

 西野先生は、マクロ経済専門の女性大学教師だ。今日は経済統計の授業をしてくれる。

 この授業は男子学生に人気で、男女比率が7:3の少々男臭い授業であった。

 先生はいつも授業開始のチャイム10分後、ヒールの音を廊下に響かせ、ベージュのトレンチコートを手に、黒革のビジネスバッグを肘にぶら下げながら早足で教室に入ってくる。容姿は大人の女性だが、授業に遅れいそいそと教室に入る姿はどこか子供っぽい。

 教卓に鞄を置き、椅子に腰かけ脚を組む。スカートの裾は膝の高さで途切れ、組み込まれた太ももがこちらから見える。胸元は、谷間の影がギリギリ見えない程度に露出していた。

 

 50歳近いオバサンといえども、顔は整っており美人、「熟女系」だ。隣に座っている男子大学生が先生の下半身をチラチラとみているのを私は知っていた。

 私も、重なり合う太ももを盗み見た。脚の上にのせられたもう一方の太もも肉は、重力の働くまま下に垂れ下がり、椅子から大福もちのような輪郭のぼやけた緩やかなカーブを描いていた。

 先生は教室全体を看守のように見回しながら授業をする。私のほうに視線が向けられることも当然あったので、太ももから先生の顔へと視線を移す、そうした忙しない目の運動を強いられていた。

 

 少しだけ鼻声で、恋人の耳元へさやくように、先生はマイクに話しかける。スピーカーから届く先生の声は妙に色気があった。

「なんかえっちだ...。」

 

―「最近のどが痛いんだよね」と言い、先生は授業中にもかかわらず飴玉をなめだした。

 スピーカーから、飴を舐める音が聞こえる。唾液に濡れた飴玉を舌と歯茎で包み擦る音が聞こえる。

 

―「コロッッ..コ.....ンチュパッチ...それで、この統計調査はァ」

 

 リップノイズが教室中に響き渡る。顔を見合わせる男子学生たち、ひそひそと笑いながらおしゃべりする女子大生たち。

 先生は講義を続ける。スピーカーから聞こえる、やらしい音に先生は気付いていないのだろうか。

 

―「チョチ……次は、ちんぎん統計ねコロッ..」

 

 (『ちんぎん』か・・・。なんかエロいな)

 おそらく、教室中の男子大学生は私と同じことを考えているはずだった。なにせ、男のアソコの名前と一文字違いだ。アソコの名を直接言わないからこそエロい、言葉のチラリズムか。

 

—「ヌチパッ……ち〇こ」

 とうとう西野先生は一線を越えてしまった。

 あまりの衝撃に一瞬、何が起こったのか本当に分からなくなってしまった。

 

 

「ち〇こ?」

「今、先生ち〇こって……?」

 教室中がざわめく。ほぼ50歳の熟女教師が、耳元で恋人にささやきかけるように、若干鼻声交じりの声で、20歳前後の若者たちの前で、男のアソコの名前を、今度は「直接」放ったわけだ、飴玉を口内に包み込む官能的な音を響かせながら。

 

西野先生、さすがにそれはやりすぎだ。

 

 

―「チュパチッ…ん、君、聞いてる?」

 茫然自失としていたら、西野先生に注意されてしまった。

 目を見開き、首をせわしなく縦に振り返事をし、慌てて目線をレジュメに合わせた。

 

『賃金構造基本統計調査』

 

レジュメには漢字10文字の、読むのも嫌になりそうな、長い統計の名前があった。

―「ちんぎん、こうぞう・・・・あ、そうか、「ち〇こ」というのは「賃金構造基本統計調査」の略か……」

 

『賃構(ちんこう)』 

誤解が解けた。

 

経済学ってなんかえっちだ...w