BB2B劇場(修正中)

 

 

 コンビニでバイトをしている大学生です。

 早朝のシフトで眠い目を擦りながらレジ打ちをしていたときです。まだ物心のついていないような子ども達がコンビニにやってきて商品をレジカウンターに置き始めました。私は子ども達の足元をちらと見てすぐに視線を逸らし、カウンターに置かれた飴玉に焦点を合わせ、そっと手を伸ばしました。おもむろにそれを手に取り、くるりと回してバーコードの位置を探し出し、スキャンをします。袋に入れ、子ども達に渡し、「ありがとうございました」と挨拶をしました。

 

 私はいつも恥ずかしくなるのです。

 彼らは穴があくほど私のことをジッと見つめます。そのとき、私の一つ一つの動作は切り抜かれているのです。その切り抜かれた私は彼らの中でうごめいて、ずっと心の中から離れていくことがないようなのです。

 

 

 身近なもので例えると、ニコニコ動画のBB先輩劇場があります。ホモビデオを切り抜いて動かしたアニメーションです。コンビニに来た子供たちも、それと同じ具合に私(2B)を切り抜いてBB劇場のようなものを、心の中に作っているのではないでしょうか。

 

 切り抜かれた私は彼らの中で「究極の恥のイメージ」となっていきます。

 それは、子供の頃持っていたあの恥ずかしさ、他人に打ち明けることになれば顔が真っ赤になるだけでは済まされないほどに恥ずかしいあの恥ずかしさ、誰にも打ち明けることができないあの恥ずかしさの正体なのです。

 私が持つその「究極の恥のイメージ」と同じようなものが、私の姿をかたどって彼らの中に作られます。

 

 私はそれに気づいているし、彼らまたそれに気づいています。暗黙の了解が、私と子供達の間でなされている気がして、どうしようもなく恥ずかしいのです。

 

 どうしてそんな気味が悪いことを考えるのかというと、私も彼らと同じことをしてきたからなのです。自分が子供の頃にしていたことを今の子供達も同じようにしていると考えるのは自然なことと言えるでしょう。

 大人たちをジッと見つめ、像を切り取ってBB劇場のようなものを作ってきました。

 今まさにその大人たちが私に、その子供を介して、私を恥ずかしい目に合わせようと仕返しをし始めているのでしょうか。

 

 とにかく、私はそんな恥ずかしい素材にならないように、徹底して個性のない、無表情で、事務的なレジ接客を心がけています。

天気の子 感想(未完成)

すごい恥ずかしいので読まないでください

※まだ書いている途中ですが、未完成で読みづらい文章ですが、殴り書きですが、一刻も早く感想を共有したいのでアップします。

 

『天気の子』感想(ネタバレ箇所には前もって「以下ネタバレ注意」と記しておきます。なので、ついていないところは安心して読めますよ)

 

ざっくりと言うとこんな感じ。

 

2B的には『君の名は。』よりも好きな作品。とても良い作品だった。

ずっと続いていた頭痛が止んだ時の爽快感に似たような印象があった。スッキリしていた。

そして、今の自分の在り方について考えさせられる。

これから先どう生きるか、今をどう生きるかということを、この作品を見たら考えずにはいられない。

 

この作品を好きになれたのは、2B自身がもつ体験や世界観とこの作品が、うまい具合にマッチしたたからだろう。

 

賛否両論ある。新海監督も、この作品の評価については意見が分かれると言っている。全く面白くないと言う人から、2Bみたいに、この作品のおかげで生きる喜びをまた一つ見つけました的な大げさな感想を言う人もいる。

 

この作品についての感想は大きく二つに分かれるだろう。

めちゃくちゃdisっている人の意見と、作品をベタ褒めしている人(『天気の子』信者)の意見の二つに分かれるだろう。

2Bは後者である。

というわけで、劇場で見て感じたことをここに記していきたいと思う。

 

⑴生き方 

「生き方」はこの作品の「ど真ん中にいる」テーマだろう。無駄なことをせず、必要なことをきちんとするような生き方である。この生き様から2Bにスッキリとした印象を与えたのだろう。頭痛がスッと引いていく爽快感である。

「生き方」というと、なにか押しつけがましい印象があるが、ここにはそういったものは無い。

 では、どこにそのような生き方を見出したのか。(以下ネタバレ注意)

 

❶家出

  スッキリとした生き方を感じ取ることのできるの最大の箇所は、主人公の青年穂高の家出である。

これは2B個人の感覚だが、自分の願望を他人に思い切りぶつけることができるのは勇気がいる分成し遂げることができた時はとても気分が良い。特に、親にそれをぶつける勇気、つまり家出する度胸は大したものである。2Bにはできない、絶対(涙)。

 

 ❷危険だらけのバイト選び

  ヤ〇ザの事務所に行く勇気は一体どこから湧いてくるのだろう、彼は勇者である。

「東京で生きる!」という目標達成のために、毎日食って住む場所を探さなければならない。そのためにはお金が必要である。お金をもらうためにすることはひとつ、バイトをすることである。たくさん稼ぐことができればなおよい、というわけで、バイトできる場所を探しまくる。島から出てきた東京にありもしない幻想を抱く恥ずかしい野暮な田舎者、恥ずかしいという感情を捨て、とにかく自分のするべきことを淡々とこなし、失敗してもへこたれず挑み続けるその姿には、余分な部分が何ひとつ無い。はっきりとしている。そんな姿に爽快感を覚えた。

 ❸東京を沈めた穂高の決断

  穂高は東京を沈めた(もちろん陽菜さんが決めたことでもあるが)。彼が街を沈めた理由について、2B的な解釈を記す。

  この決断は、まったくと言ってよいほど単純なものであった。ありとあらゆる考えるべきことを無視して、陽菜さんを取り戻そうとした穂高であった。愛する者のためなら何がどうなっても構わない。だから東京を沈めたというのではなく、これはある青年の、その場限りの自分勝手でしかない。それが、とても美しいのだ。何も考えず、そこにある何かを掴んだまでである。あくまで、そういった理由で2Bはこの作品を称賛した。「好きな人のためなら何でもできるよね、愛っていいよね、ラブラブっていいよね、青春最高恋愛最高!」とかいう主張はまったく感じ取っていない。なぜなら、そのような主張があったとしても登場人物たちには全くと言ってよいほど感情移入できないからである。好きな人のために頑張る姿に感動できるような、一途に目白から代々木まで走り続ける穂高に感情移入できるような作品ではなかった。2Bには初恋の人がいた。高校生の頃、会うたびに胸が締め付けられるような女の子がいて、彼女と付き合いたいと思うことはあった。その当時の、元気溌剌で盛んな年頃、人生の全盛期の自分を思い出しながら見ても、感情移入できなかった(普通の人なら感情移入できるのかな?2Bの感情が壊れているから感動できなかった可能性がある!?)それに、2Bには恋人がいなかったし、今もいない。非リアである。この先も多分お付き合いすることのできる相手が見つかるかどうかわからない。そんな人間が、愛する者のために奔走する姿を見て心を動かされるだろうか。経験が無いのだから、自分が同じ状況に置かれたらどうなるかということを想像することができるわけがない。もしかすると、リア充の皆様ならラストシーンで号泣できたのかもしれない。だってそうでしょ?「カレ・カノジョと一緒に天気の子見に行ってきたよ~☂めっちゃ感動した、マジ号泣😢」っていうツイートやインスタの投稿(嘘かもしれないけど)がたくさんあったし、そういう「愛のよろこびを知っている者たち」なら感情移入できたのだと思う。羨ましいな、と思った。いいなぁ、好きな人と一緒にああいう作品を鑑賞できるって、もう死んでも良いと思えるほど幸せだと思うよ。だから2Bはまだ死ねない(大げさかな)。まぁ要するにこの物語は見る人によってラブラブ恋愛ストーリーになりえるしそうではない何かにもなりえるって話。

  2Bは後者。できることをやっただけ、そんな姿に惚れた。今の自分に足りないものを感じ取ってしまった。終始穂高は彼のやるべきことをやり通した。そんなスッキリとした作品に、拍手を送りたい。

 

吉本ばななさんの名言「『違うこと』をしないこと」(ラジオ番組より→

https://www.youtube.com/watch?v=rMnHghdF_zU)と同じ主張を『天気の子』から感じ取った。人は必ずなにか余計なことをしている。やりたいことがあるのならそれを実現するための行動をすればいいのだが、たいてい人は遠回りなことをする。例えば、学生が勉強をしなければならない時に掃除をしたり、ベッドにころがって「やる気を出すため」という口実で音楽を延々と聞いたり。自分の願望が他人に知れると恥ずかしい。知られたら、まるでこの世が崩れてしまうような実体のない何かに怯えている。そんな人間の弱さに打ち勝っていく主人公の青年の姿は素敵でした。

 

⑵作品の世界

 おそらくこれは誰もが「よかった」と感想することであろう、東京の描写である。リアルに描かれている。その世界にどっぷりつかることができた。だから、映画が終わってしまった後は空しくなった。田舎のイオンシネマズで見たから、群馬県の田舎臭、外出てから湿った空気と田んぼに撒かれた肥料の糞のにおいで完全にテンションがた落ちしてしまった。だから、2回も3回も、これから先あと4回くらいは見るつもりですけど、たくさん見る中毒性があったのだと思う。

 

⑶クライマックスシーンに鳥肌

陽菜さんを空から取り戻そうと穂高が代々木会館ビルに向かった時のシーンです。陽菜とチンピラから逃げ切った時に投げ捨てた本物の拳銃をつかみ取り圭ちゃんを威嚇したあのシーンです。何が良かったか。『愛にできることはまだあるかい』を流すタイミングである。この演出はおそらくこの映画の中で1位2位を争う鳥肌シーンである。

 このシーンは、かつて大切な人を失いどうすることもできず大人となった圭ちゃんと、大切な人をこれから取り戻すことができる、そして取り戻しに行くためだけに生きる子供との確執である。熱い展開である。そして穂高は実弾の入った銃を持ち、一発撃って二人の間に輪をかけて緊張感が走る。一途に熱く生きる人間とその生命を消す兵器が混在する非常に両極端で緊迫したシーンである。もちろん、圭ちゃんは穂高を陽菜さんのもとへ行かせてやりたいはずであるが、自分の生活もかかっている。愛する子供と生活していくために身を守る必要がある。

 涙を流す圭ちゃんを映すシーンがあった(あのシーン、不気味でしたね。また後でこのシーンについて記します)。彼は穂高の思いが痛いほどよくわかったのだろう。分からないのなら涙は流さないだろう。圭ちゃんはかなり悩んでいる状況であのシーンを迎えたに違いない。感情がめちゃくちゃに混ざっていて大変そうだった。

そんな時に、その緊張感を和らげる音楽が流れる。興奮を沈めるピアノ演奏とおちついた優しめの歌声がかかる。(歌詞についての記述は後で)。ちょっとウルっと来るシーンである。そして、警察が拳銃を構えながら二人のいる空間に割り込んでくる。再び緊張が戻り、この後何が起こるかわからなくなる。警察に捕まるのか?この状況でも振り切って逃げきれるのか?音楽とともに展開するこのシーンは、視覚・聴覚が作品にすべて占領されてしまった。

穂高は刑事に押さえつけられた。ここまでかと思ったら、圭ちゃんがついに動いた。圭ちゃんは警察を殴り飛ばし、向かうべき場所へと彼を向かわせた。圭ちゃん決死の最終意志である。彼は保身を忘れて、目の前のものにとびかかった。何もかもがどうでもよくなったのだろう。

 ⑷声優

  ❶穂高

穂高が空の世界から地上に落ちるシーンで陽菜さんに向かって叫ぶ場面だが、おそらくこの作品の中でもっとも魂のこもった演技であると言える。あの、天高くから東京の街へ真っ逆さまに落ちる、「これは死ぬ」と「手を離さないで」と思うその時に必要に駆られて発せられた声である。2Bはこう思った、この声は、防音の部屋でマイクに向かって台本を見ながら発せられた声ではないと。アフレコ現場でこの声を録音する様子が全くイメージできなかった。声優、魂の演技であった。

  ❷夏美お姉さん(あたしと圭ちゃんの関係? 君の想像通りだよっ☆のえっちなお姉さん)

   本田翼さんの演技、生き生きとしていました。女子大生の声でした。リアルでした。映画を見る前にニコ動で話題となった本田翼さんの変わった口調、あのシーンだけ聞くと違和感ありまくりですが、劇場で本編を見た時は完ぺきな演技だと思いました。彼女の声も、アフレコで録ったものでなく、描かれたお姉さんが声を出しているようにしか思えませんでした。彼女の演技に拍手です。

 

続きはまた今度